
3.近世の食と健康(安土桃山時代~江戸時代)
<江戸時代1603~1868年>
江戸時代は、徳川家康が天下を統一した時代です。武士や貴族たちの生活が庶民にも広がって、一日三食の食生活が定着しました。その背景には、菜種油が安く大量に生産できるようになり、行灯を使うことで夜遅くまで活動ができるようになったことが影響しているといわれています。
*江戸わずらいとは
米の生産では、新田開発が進み米の生産量が増えて、千歯こきで効率よく脱穀するようになりました。水車や足踏み式の石臼を使うことで精米効率が上がり、江戸では庶民でも白米が食べられるようになったのです。その結果、貴族だけの病気とされていた脚気が、庶民にも流行していきました。しかし、地方では玄米が主流であったため、江戸に来ると発症し、地方に戻ると治ることから「江戸わずらい」と呼ばれていました。当時は、まだビタミンB1不足で起こる病気だということは解明されていませんでした。
江戸時代の人々は、白米を1日に5合も食べていたといわれており、朝食はご飯と味噌汁と漬物、昼食はご飯と味噌汁に魚や肉、野菜など、夜はお茶漬けに漬物といったように、ご飯の比重がとても多かったのです。現代人は三食主食を白米にしたとしても1日1~2合程度であり、パンや麺を主食にすることもあるため、米の消費量はもっと少ないと考えられます。
特定非営利活動法人 日本成人病予防協会 発行「ほすぴ 175号」より抜粋