<昭和初期~第二次世界大戦終戦1926~1945年>
昭和に入ると、人々の暮らしに西洋料理が広まる中、戦争が近づくとアメリカからの食糧輸入が止まり、食糧事情は悪化して人々は飢餓に苦しみました。

*家族団らんの食事
昭和になると、家族で丸いちゃぶ台を囲み座って食事をするスタイルになりました。それまではそれぞれが一人ずつ箱膳で食べていましたが、水道や電気、ガスなどのライフラインが普及したことで家族の食事を一度に手早くつくられるようになったため、ちゃぶ台が普及していったといわれています。
*第二次世界大戦中の食事と健康
1937年に日中戦争がはじまり、贅沢することが許されない時代に突入したため、国民は米を節約する「節米」を求められるようになりました。白米の入手が困難になったため、玄米にイモ類や野菜、山菜などを混ぜて炊いて食べるようになりました。また、タンパク源の不足から栄養不良により日本人は痩せている人が増えました。1941年に全国民に均等に米を配分する制度「米の配給通帳制度」が始まりましたが、米だけでなく野菜や魚、肉などすべての食料が足りず、食糧事情は悪化していきます。1945年に終戦を迎えた後も、飢餓との闘いはしばらくの間続きます。米やイモなどの配給量は、1人当たり1日300g(1000Kcal)程度で、必要なエネルギー量の半分も取れませんでした。米の代用として、日本の飢餓を支えたのがさつまいもです。さつまいもは、炭水化物(糖質)のほかにも食物繊維やビタミン類が豊富に含まれている優秀な食品でした。
特定非営利活動法人 日本成人病予防協会 発行「ほすぴ 175号」より抜粋